べてぶくろ苦労劇場

べてぶくろの活動について綴る日記やお知らせを仲間によって発信します~。

べてぶくろんプロレタリアート

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先月木曜日にした研究のホワイトボード、他の人もべてぶ苦労に触れればいいと思い、そのままにしておいたのですが、翌日行ったら消されてました。
べてぶくろで研究とか苦労とか結局価値が無いのでしょうか。

場の苦労という客体がずっと無いものとして扱われています。

すごく頑張ってくれていた仲間がいたのに、そんな見方でどんどん去って、それでもべてるみたいなとこって、一日千秋で作られていくものじゃない、苦労にも意味があると思って、仲間もいろんなことを壊されてやり続けて、それで酷いと怒ってもこちらの人格がおかしいみたいな都合良い反応しかしなくて、すごくやってくれていた仲間もいなくなってしまって寂しくてキツくてしんどかったけど、そうさせてしまったから、自分はこういう気持ちになってもそれでもやっていくしかない、仕方がないんだと思ってやっていくしかなかった。
どんなに見ないようにしたって、今日べてぶくろが存在しうるのは、すごくやってくれた仲間がいたからで、そういう互いの苦労があったら、はっきり言って向谷地さんが何もひびのことを知らなくてもべてぶくろと関わる人がいて、なんとか息をして場が生き延びてきたんだと感じます。
それは昨日今日の話ではなく、何年もの間です。
こんなに無いようなひどい扱いをされて、人が集まらなくなってしまったべてぶくろ。
それなのに存在しているのは、場やつながりというものは今まで気持ちをかけてくれた人たちがいたから今残っていて存在しえたのですよね。

ひどい想いしてるけど、これが離れていった仲間にさせた気持ちで、当然の報いなのかもしれないとも感じていました。
悲しくてもキツくてもどんどん日々活動があるから、私もべてぶくろを捨てられないし、今までやってきた何年もの自分を無しにできないから、苦しくてもやり続けてきたけど、どうやってここが動いているのか、何を大切にしてるからそれがまわってるのか、都会では関係性とか関係なくて、内外に一時的で良い人ばかりで、何年も居る苦労なのに、場の苦労なんて知らないよってかたちで、内外の都合の良い人を日々受け入れるために、私の人生がある訳じゃないと痛烈に感じました。

私は、私のそこであった仲間のことや自分が自分も含めて大切にしたい価値観があるからギリギリなおもいしてやってきたのに、それを人に都合良く使われて消耗されて当たり前なんて、酷い非情と思う。

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(二つ目の絵は、私のキツくても何度もべてぶくろの現実に傷ついて精神的に追いつめられても、気持ちを建て直してやってきた価値観さんです。名前はまだありません。)

何年も自分の人生ギリギリ働きながらべてぶくろと関わってきたけど、やっぱりいくら苦労しても、私のべてぶ苦労さんは浮かばれない。
都合良く見えない扱いされるだけ。
自分がここまでやらなきゃいけなかったのは、自分がべてる的なコミュニティでなんとか商売とかで仲間と助け合って生き延びていきたいと思ってたから。
べてぶくろは、もともとそういう人たちが集まって来てました。


東京プロジェクトの一部みたいな位置付けで外から来た人は見るけど、場の日々の活動に路上出身の人は来てないし、べてぶくろは別に医療や福祉のかかわりもないし、団体同士は対話とか関わりがないところで物事が決まり、勝手にやるかたちで日々の活動も本当に数人でやってきました。
普段全然関わってない人が、大切な時だけべてぶくろとして扱われるなんて、ひどいじゃないですか。
べてぶくろの日々の仲間たちは、人としてそうやって無いものとして扱われて当然なのですか。

当事者研究というものに関心を持って来た人は、べてぶくろに来て、向谷地さんやスタッフがここをやってるんでしょみたいな扱いで、べてぶくろの日々を切り取られず、いつも言葉にできない複雑な気持ちがあります。

べてるの当事者研究という言葉だけ独り歩きしていってしまって、それがどういう関係性だから活かされるのか、そういうことは社会的にまだ広がってないように感じます。
だから、苦労なんて面倒だし、コミュニティで人間関係に揉まれたくない人ばかりだと。
当事者研究は、仲間同士で聴き合うからより響き合ったり、場のなかでそれをもとに考えあったり、助け合ったりできる仕組みなのだと思う。

べてぶくろは、べてるのイメージの当事者研究だけ見に来るところ、べてぶくろは関係無い、そのために場の苦労が活かされず、家賃のために当事者研究をして、自分が大切にされずにどんどん来る人の苦労を聴いていかなきゃいけないなんて、そんなの本当にひどいじゃないですか。

向谷地さん自身も、そういうことが価値観的にはわからないよう。
嫌なら辞めれば?お願いしてないし、勝手にやってきたんでしょってかたちで、何年間もやってきた人に対して、そういう見方。
べてるや路上出身の人の話だけで、べてぶくろの場の苦労はわからないよう。
そうだよね。だって、日々来て一緒に苦労してないもんね。
わからなくて当然だよね。だから、私が大人にならなきゃいけないんだよね。
ずっとそうして当たり前と思ってるんだよね。
べてる的な物があれば満足だよね。
世の中の人もそう。
べてるは、苦労をもとにつながってお互いや場を耕したから、当事者研究が活かされるコミュニティになったんじゃないのかな。
日々のそこでのことも知りもしないで、べてるって場ができていく訳ないじゃない。
起きていることに対して、傍観すらしてないよ。
かたちだけあれば、それでそういう要素が作られていくって訳じゃないじゃん。

向谷地さん、どうやったら本当の意味においての当事者研究でともに実験できるのでしょうか?

本当に頑張ってくれていた仲間も、こういう扱いに傷ついて存在や苦労を知らないとか無かったこと、やって当たり前みたいなひどい扱いでその現実に傷ついて何人も離れて行ってしまいましたね。
べてぶくろは、頭の良い人は離れていくとか、当事者研究に価値持ってる人が集まってないじゃんとか、私は辛辣なことを言われたりしてました。
傷ついて居なく去っていった仲間たちは、べてぶくろのこういうあり方で、それぞれの苦労のキャラクターや人格を仲間として扱われず、頑張っても別の人が考慮されるかたちに心底傷ついて去っていったと思います。
仲間に対して、そうできなかったのは私も同様と感じてます。
私もひどい想いして、仲間の苦労と仲間になるって、本当に少しだけだけど手に取れてきた。
仲間もその場に声を出さず存在する苦労を、仲間として研究的に認知する志向が今どれくらい場にあるのでしょうか。

私は、何だか変だひどいと思いながら、もやもやしたままやってきて、長年の場での自分のしんどさ、扱われ方が今回やっと言葉にできました。

お金が発生する立場やボランティアとかわかりやすい立場でつき合う人はグループホームのほうに行って、べてぶくろとそちらの接点は勝手に外が決めた体制で今はつながってないんじゃないかな。

べてぶくろは誰でも集まれる場だったのに、障害者とそうじゃない人に分けたがり、自分をそうじゃない人としてそこに在りたがる。
もしくは、いろいろやってもらって甘えたい人とか。
どちらもみんな自己肯定感や愛着から起因している行動のもとに気がついてないように感じる。
世の中そんな二つの区分けじゃないし、ましてやそういう線引きの福祉施設じゃないんだから、広いくくりで居合えればいいじゃないの。
そういうの本当につまらなく感じる。
もっと生きづらさがあれば、誰でも集まれる場なのだから、そこからエネルギーを出し合って盛り上がっていけるところなのに。
みんな都会の社会で生きてるから決められたかたちでしかイメージして動けない型が無意識にあるのかな。

最初の話に戻ると、人の都合の良さのために私が居る訳じゃない。
人や苦労が無視されて無いように扱われて、自分も自分の気持ちの行き場が無く扱えなくて、自分も苦しい感情が認められなくて無いような扱いして、そうやって世の中では精神が傷ついて病んでいくのではないだろうか。

私は、こんな環境で場で都合が良い人たちにいろんなことを押し付けられそれでもやらねばならず気持ちも否定されて自分自身も回していて、今思うと本当にひどい燃え尽きと鬱状態だったと思います。
それもわからないくらいに自他でべてぶ苦労のつながり先が少なかったと思います。
また、依存もあり希望を捨てさることもできずにべてぶ苦労と居続けました。

私があまりの酷さに感情的になっても、私が悪いような扱いされて、そもそも場のことでこんなにたいへんな状態になっているのに。

私の感じる苦労は、私の責任だけで発生しているのではなくては、あなたも起因している場のことでそれを受けてこんなにしんどいのに。
場の当事者意識がなくて、都合が良いときにあれば良いので、何言ってるのかわからないような受け取り方。

良い苦労だねとか、苦労することが良いような、べてるの考えを社会的には見せて、そのために実際どうするか、身体を使って人との関わり合いの中に、べてる的なつながりや観念が生まれていくのではないの?
そのためにどう行動で実験してるの?

人生観とか人間の苦労に対しての感受性があまりにも無いのではないか。

本当に望むものなら、お互いにそのためにどう苦労して作りあっていけるか、お互いにその気持ちがなければ、難しいんじゃないか。

場の苦労が長年無いような扱いされて、自分の気持ちの行き場も無くて仕方なく私も大人にならなければならずそれを受け入れて来てしまったけど、場の苦労を無いように扱われるかたちに自分自身でも加担してしまったのかもしれないとも今は思います。

お互いに場の当事者意識がなければ、場なんてそもそもまわっていかないよね。
相手が自分勝手に子どもで居続けられるように私が振る舞い続けてしまったのだとも思います。
依存症者のイネイブラーのような。
場の苦労事が、依存する先が少なくて私と数人にほとんど依存して、場の苦労と共依存になってしまったのだとも。

皆で苦労を感じ合えず、それをもとに知恵を出しあって工夫し合えなきゃ、場なんて育たないと思います。

皆にとって無くてはならない場所であれば、そうしてでも苦労を分かち合える可能性があって、さらにその先があるんじゃないでしょうか。


お互いに場の当事者意識がなければ、結局は無くても困らないところであり、べてぶろうという場がそもそもいろんな人とつながって呼吸し存在し得ないのではないでしょうか。
そもそもこういうひどいかたちでまわっていて、持続可能な人が人として大切にしながら居合えれるかたちではない現状です。

すごく頑張っているべてぶろうの数人は、べてるとかべてぶろうに対してある種の強い観念や希望を持っていたのだと思います。
だから、本当はひどいのになんとか無理して回り続けていたのだと思います。
でも、それがそれぞれ場のべてぶ苦労を抱え込むかたちになってしまったのだと思います。
でも、それはべてぶ苦労がいろんな人からエネルギーをもらって呼吸することが難しいかたちになっていったとも感じます。

私も依存症のミーティングの場に往くと、依存の方向性は違うのですが、そんなひどい利用のされ方をしている依存はさっさと捨てたほうが良いという話になり、長年の苦労や場に対する思い入れもあるので、人からの苦労の見方に複雑な気持ちになります。
本当にそうなのか、今までの苦労さんも私も、べてぶろもみんな救われる道はないか、探したい気持ちがまだあります。
一緒にそうやって研究できる人が居たらなあ。
みんな人生に困ってないのだろうか。
わかりやすい働き方、生き方ができてる人が多いのかな。
ちなみに、今あげた当事者研究はホワイトボードや文字を書いて頭だけでするのではなく、身体を使って仲間と実験することも含みたいです。
現代は、頭だけ動かす実験が多いですね。

今日のこれからのべてぶくろ月曜当事者研究会をどうするかの話し合いに参加できず、私も実際丸投げになってしまい、ごめんなさい。
今日をべてぶ苦労とともに回してくれた大矢さんに申し訳なさとともに、多大なる感謝です。

/しゅういん