べてぶくろ木曜会 2020.1.30
べてぶくろ苦労劇場、今日は1月30日の木曜会の様子をリポートします。
べてぶくろの一人の中心メンバーが2月は休むと言うので彼女の話を木曜会で聞きました。動画撮影もして僕は3回見返しました。
自分たちだけで我慢無理してしまった。べてぶくろで活動しているのに浦河べてるの家、てのはしが注目されてべてぶくろに関心が来ない。
私がべてぶくろで求めているものが皆に伝わらなかった。
みんなが困ればいい。みんなは何を求めているのか?
みんなのべてぶくろの苦労を自分たちが無理してやることで取ってしまったのかも。べてぶくろのみんなの苦労をみんなに返す。
べてぶくろは障害を持った人もだけど、それだけでなく働けるけれど上手く働けない、生きづらい人が集まる場でもあったはず。
みんなのべてぶくろ
お互いの大切にしたいものをお互い分かり合えれば。みんな何やりたい?
自分の苦労、場の苦労、みんなの苦労を仕分けする。
今までべてぶくろで活動してきた人が大切にされていない。辞めて行ってしまった人もいる。
人が来るからやらなくちゃでやって来たけれど自転車操業だった。
みんなが苦労する。分担する。
何がどう大変なのか、どうすればみんなに伝わるか、解決されなくても言う場があれば。
私は大人になる必要無かった。今まで子供っぽいと言われて来たので大人になってしまった。BASEのことも我慢しないで言えばよかった。
出来ないからどうするかでなくて返せばよかった。自分がするのではなく。
でも返すのは返せる人がいるから返せる。
仲間になってもらう。
べてぶくろ、みんなが当事者
みんなのべてぶくろにするにはどうしたらいいか?
私が引き受け過ぎてしまった。(共依存)
もっとみんなに分担してもらう。
参加者全員が一生懸命彼女の話を聞きました。
彼女の話を聞いていて僕はみんなで苦労を分担してもらいたいと思いました。
そして僕や彼女が無理して自分たちだけでやってしまい、みんなの協力する機会、苦労する機会を奪ってしまっていたのかもしれないという話にはっとしました。
そして彼女はホワイトボードに描いた自分の姿の左胸の人の姿を何度も何度も繰り返しなぞっていました。大切な所、べてる的に対する期待、仲間、思い、共感、それを彼女はとても大切にしているのだなと感じました。
また他の日の話し合いでは
べてぶくろの悪い苦労として伝わってしまっている。どういう風にしてべてぶくろの苦労を大切にして伝えるか。自分が上手くべてぶくろにつきあえていない。自分が否定的に感じていれば他の人にもそう伝わってしまう。
べてぶくろもいろいろな人に依存出来れば。
希望的なべてぶくろのイメージは変えたくない。
彼女は途中涙ぐみながらもしっかりていねいに彼女の想いを伝えてくれました。
そして僕はふと思いました。みんなかっこ悪くなりたくない。自分の弱さを認めたくない。どうやって自分の弱さを出せるか。「僕は出来ないです」と言うか。
べてぶくろでは出来ませんと言う人が僕や彼女も含めて少ないなと気がつきました。
2月10日のべてぶくろ当事者研究の運営を考える会では僕は誰が悪いか、何が原因かではなくて、どうべてぶくろを居心地の良い場にしていくかを話し合えたらいいなと思っています。
(大矢)